<Header>
<Author: 李頎>
<Title: 送陳章甫>
<Format: 格式不明>
<Year: 1988>
<BookName: 唐詩三百首詳解  上卷>
<Translator: 田部井文雄>
<style: 現代文有假名>
<style2: 日本現代譯文附假名標注>
<TranslatedTitle: 陳章甫を送る>
<BookPage: 61>
<UsedPage: 1>
<Feature: 0>
<End Header>
<Poem>
四月南風大麥黃，
棗花未落桐陰長。
青山朝別暮還見，
嘶馬出門思舊鄉。
陳侯立身何坦蕩，
虬鬚虎眉仍大顙。
腹中貯書一萬卷，
不肯低頭在草莽。
東門酤酒飲我曹，
心輕萬事皆鴻毛。
醉臥不知白日暮，
有時空望孤雲高。
長河浪頭連天黑，
津口停舟渡不得。
鄭國遊人未及家，
洛陽行子空歎息。
聞道故林相識多，
罷官昨日今如何。
<End Poem>
<Translation>
陰暦（いんれき）の四月（しがつ）の初夏（しょか）の南風（なんぷう）に大麦（おおむぎ）は黄（き）ばんで熟（じゅく）し、なつめの黄白色（おうはくしょく）の花（はな）はまだ散（ち）り落（お）ちず、桐（きり）の葉（は）が大（おお）きくなった。君（きみ）を送（おく）ってみどりの山（やま）のあたりで、朝（あさ）別（わか）れても、その青山（あおやま）はまた夕暮（ゆうぐ）れに再（ふたた）び見（み）ることができるが、君（きみ）の乗（の）るいななく馬（うま）は、都（みやこ）の門（もん）を出（で）ると、ひたすらに故郷（こきょう）を慕（した）って行（い）ってしまうのだ。

陳氏（ちんし）の世（よ）に処（しょ）する生（い）き方（かた）は、なんと平静（へいせい）でゆったりとしていることか。みずちのようなあごひげ、とらのようなまゆ、その上（うえ）に広（ひろ）いひたいといった、りっぱな風貌（ふうぼう）を備（そな）えている。その上（うえ）に腹（はら）の中（なか）に書物（しょぶつ）を一万巻（いちまんかん）も貯蔵（ちょぞう）しているほどの教養人（きょうようじん）・知識人（ちしきじん）のこと、決（けっ）して、うなだれて在野（ざいや）の人（ひと）として、官位（かんい）を得（え）ないままに埋（う）もれるべき人（ひと）ではない。東（ひがし）の門（もん）のあたりで酒（さけ）を買（か）ってわれわれに飲（の）ませては、心（こころ）の中（なか）では、この俗世（ぞくせい）のあらゆる事柄（ことがら）を、おおとりの毛（け）のように軽（かろ）んじているのだ。酔（よ）いつぶれては日（ひ）の暮（く）れるのも気付（きずけ）かないで、時（とき）おりはただ、空高（そらたか）い一片（いっぺん）の雲（くも）を遠（とお）くながめやるばかり。

大河（たいが）の高（たか）く上（あ）がった波浪（はろう）のいただきは、大空（おおぞら）に連（つら）なって黒（くろ）く、渡（わた）し場（ば）の役人（やくにん）は、舟（ふね）を出（だ）すことをおしとどめて、川（かわ）を渋（しぶ）ることはできない。したがって鄭国（ていこく）にある旅人（たびびと）である君（きみ）は、まだ家郷（かきょう）に帰（かえ）り着（つ）くことができず、ここ洛陽（らくよう）の旅人（たびびと）であるわたしは、ただため息（いき）をつくばかりなのだ。

聞（き）けば、君（きみ）の故郷（こきょう）には、友人知己（ゆうじんちき）が多（おお）いという。帰郷後（ききょうご）の君（きみ）が孤独（こどく）であるはずはない。しかし、官（かん）を辞（やめ）したのはまだ昨日（さくじつ）のこと、現在（げんざい）の心境（しんきょう）はどんなものだろうか。
<End Translation>